Written by HOMMURA Kyohei. (@twitter&@facebook)
今回は自分のプロフィールというか競技歴などについて書いていきたいと思います。
あまり自分語りみたいなことはしたくなかったのですが、自分がどんなバックボーンを持って、いまフラッグをやっているのかということを知っていただいたほうがいいと思いました。
小学生のころ
小学校4年生ごろから野球をはじめました。野球がすごく好きで、というよりかは何かスポーツをはじめようとなったときに、たまたま指導者の方から声を掛けられたからやってみたという感じです。
6年生のときに2番セカンドのレギュラーになりましたが、あまり強くなくてそこまで勝ちに拘るようなチームでなかったというのもあったと思います。とにかく下手でしたし、そこまで意欲がなく練習休みになったら密かに喜んでた記憶があります。
背番号の記事にも書きましたが、5年生のときにはじめてもらった背番号「25」を、いまフラッグでも着けています。QBっぽい番号でもなく、好きな番号でもないんですが、初心を忘れない的なやつです。
このころ野球中継はよく見ていましたが、Jリーグがはじまったころだったのでサッカーも見てましたし、F1やプロレスなども見ていました。
F1はアイルトン・セナからシューマッハとハッキネン、プロレスは全日本5強でそれぞれ一番盛り上がっている時代でした。
F1名場面集 シューマッハvsハッキネン 2001年鈴鹿 Suzuka 2001 GP Michael Schumacher battle with Häkkinen - YouTube
あとは、ハードルが得意で県大会に出場しました。
中学生のころ
中学生になっても野球を続けました。最上学年になって、また2番セカンドのレギュラーになりました。打力はないけど、そこそこ足は速くて小技ができるというありきたりな選手でした。
このころからスポーツノンフィクションをかなり読むようになりました。山際淳司の「江夏の21球」や金子達仁の「決戦前夜」を読んで、江夏豊や中田英寿、川口能活などのアウトローなスポーツ選手に憧れていました。
高校生のころ
高校でも野球を続けました。競技歴においてはこの9年間ずっと野球だけです。小中とセカンドをやっていましたが、高校でも当初はセカンドをやりました。入部1ヶ月したころに監督に「先輩いる間はセカンドでは使えない」と宣告され、キャッチャーにコンバートされかけますが、1年秋にはほぼほぼセカンドレギュラーになります。
その大きな要因になったのが、左打ちへの転向でした。自分の打力に限界を感じていたのと、同期に左打ちがいないことを考えてダメもとで転向したところ、急に打球が飛ぶようになりました。
そんなこんなで左打ちになってセカンドで成功したんですが、あんまり守備がうまくなく、いろいろとやらなくてはいけないポジションか嫌になり、打撃を活かすためにレフトにコンバートします。これは監督がいない間に勝手に決めました。
そんなこんなで憧れの前田智徳選手の同じ5番レフトのポジションを獲得しました。
部活を引退したころにアメリカンフットボールを観るようになりました。当時は全然ルールもわからなかったのですが、とりあえずマニングとブレイディというすごいQBがいるということだけは知っていました。
大学生以後
大学ではプレーヤーよりもマネージャーみたいなことをしてトップスポーツと関わりたいと思っていたのですが、何を思ったのか日本拳法部にプレーヤーとして入りました。
日本拳法とは、総合格闘技の一種で、殴る蹴る投げる関節ありで、しかも無差別級で戦います。格闘技未経験でカラダの小さな自分なので、やられる一方でしたが、どうせやるならってことでサウスポースタイルにしたことで、同期のなかではそこそこだったように思います。
ただ、同時にやっていた所沢WILD359ersでの活動が忙しくなり、日本拳法部は半年で退部しました。
所沢WILD359ersでのフラッグのメインはプレーヤーではなくコーチなので、2010年ごろまでは自分たちが大会出るということはほとんどしていませんでした。
たまに試合やったときはラッシャーかRBでした。とりあえず、足が速いかったからだと思います。それから多少大会にでるようになり、2011年にFリーグのFJカップで優勝し、アジアチャンピオンシップに出場します。このころの自分のメインのポジションはDBで、他にできるいなかったからという感じです。オフェンスではたまに出て持って走ったり、もらって投げたりという何でも屋なポジションでした。
この後、メインQBが抜けたこともあってQBに転向しました。これはとりあえずスパイラルが投げられるから、というのとコーチの実績で作戦は考えられるからという感じです。
いろいろと試行錯誤していくなかで運の良さもあって、2012年秋と2014年秋の全国大会に出場し、いまに至ります。
振り返ってみて
冗長な文章になってしまいましたが、アメリカンフットボールは全くやったことはありません。ずっと野球をしてきました。
なので、このブログに書いていることはゼロの状態から何を考えてやってきたかということだけで、さしたる専門知識はありません。
また、アスリートといえるような運動神経はありませんし、基本的にはスポーツを観るほうが好きで、カラダを動かすのはしんどくてあまり気が進みません。
ただ、そんななかでアメフト経験者とそこそこやり合えるのは、チームメイトに恵まれているというのと、ロジカルに考えて準備するという自分の持ち味がうまくフラッグにフィットした結果なのだと思っています。
自分がNFL FLAG大会の運営していることもあって、強豪チームのように思われることもありますが、ほとんど練習してませんし、たまたま勝ててるだけで、実際はノビシロだらけのチームです。
今後はチームも増えてくるでしょうし、勝つのはなかなか難しいのではないかと思っています。ただ、勝つために準備は着々と進んでいます。
ということで、自身の競技歴を振り返ってみました。