Written by HOMMURA Kyohei. (@twitter&@facebook)
今回は日大フェニックスの件についての記者会見について書きたいと思います。
引用:http://ricebowl.americanfootball.jp/archives/1166
ついに本人による記者会見
最初はTwitterでの動画からSNSで拡散され、いまや毎日その動向が報道されている日大フェニックスの件ですが、ついに当該プレーヤーによる記者会見が行われました。
関学側は何度か会見を行いましたが、日大側ははじめてです。こういったときに最初に矢面に立つのが組織のトップではないというのは非常に残念に思います。
内容についてはまたいろいろと報道が出ると思うので、そちらを読んでいただければと思うのですが、個人的には、全体として1回目の反則だけに話が集中し過ぎている感じがします。
1回目の反則がどのような経緯で行われてたのかというのは重要なことだとは思いますが、2回目、3回目と当該プレーヤーは反則行為をしており、退場処分になるまでサイドラインは彼を出場させ続けたという一連のことについてもう少し言及があってもいいのではないかと思っています。
わかりやすく、エモーショナルな情報を得るためにそのあたりだけを強調されてしまうというのが現状だとは思いますが、矮小化されてしまわないかという不安はあります。
冒頭の注意事項
そういった内容とは別に気になったことがありました。
会見の最初に代理人の方から下記のような注意事項が述べられました。
下記、書き起こしです。
まず、冒頭ですが、このようなカタチでご本人が、いわゆる顔出し、容姿の撮影をあえて受けて、お話をするということは異例かと思います。特に、先ほど司会の方が仰ったようにハタチを過ぎたばかりの言わば未成年に近いような方が顔を出すことについてのリスクというのは私どもも随分承知をしておりますし、ご両親ご本人にもお話をいたしました。
しかし、ご本人ご両親ともこの会見が事実についてつまぎやかにするだけではなくて、むしろ、被害者、被害選手とそのご家族、それから関西学院大学アメリカンフットボールチームに対する謝罪の意味が強いという捉え方をしてますので、一言でいうと「顔を出さない謝罪はないだろう」と、顔を出さなくて何が謝罪ということを考えて、あえて撮影を受けることにいたしました。
氏名についてもあえて秘匿をするまでもないということを仰っています。しかし、私どもとしては、代理人としては、長い将来のある若者です。この先どのような不測の事態があるとも限りませんし、被害が被らないとも限りません。
そういうことに是非ご配慮いただいて、できればずっとアップに撮るようなこと避けていただいて、格別のご配慮をいただければと、冒頭にこれを申し上げておきたいと思います。
この注意事項の内容についての是非あるとは思いますが、ざっくり「顔を出しているのは被害者への誠意であり、メディアに対して顔出しを極力行わないのを条件にこの会見を開いている」ということです。
そういった話があったにも関わらず、テレビ局はアップで記者会見を中継し、ネットメディアについても顔を映した写真を大きく載せています。
弁護士が「20歳になったばかりの未成年に近い選手。できればアップは止めて頂きたい」と言われているのアップで映している番組、どうかしています。「グッディ!」「ミヤネ屋」「ゴゴスマ」。
— 久田将義 (@masayoshih) May 22, 2018
SNSでは、そんな注意事項を知ってか知らずか、顔がアップなった中継画面を映している投稿が見受けられました。
下の記事はわざと顔のアップを画像を避けてる意図が伝わります。
ニコニコ生放送では顔を映さないように放送していたみたいです。
負のスパイラル
例えば、この会見が何のパワハラもなく、自分の私怨でやってやりましたという完全に加害者としての会見だったとしてもなるべく顔出しは避けて、氏名も出さないというのが基本だと思っています。
なんでルールを守れないようなメディアが、ルールを守れなかったプレーヤーや監督を糾弾しようとしているのか謎です。
SNSにしても注意事項を知らなくても、ちょっと考えれば顔を映して投稿するのはマズいということぐらいってことぐらいわかると思います。
こうやって負のスパイラルが増幅していくのがすごく嫌です。
ルールといえば、質問は1人1個までと決められているにも関わらず何度も質問するメディア。これも最悪です。ルール違反をするのは個人の判断ではなく、当該プレーヤーと同じく上からの指示なんでしょう。
日大選手の記者会見にて司会者より「質問は1人1つまで」とアナウンスがありましたが、質問者ごとによる質問の回数を纏めましたのでご覧ください pic.twitter.com/SG9YRXCJdN
— そ“ね” (@zone_for_food) May 22, 2018
いくら監督の指示でも服従しないこともできたのではないか、みたいな話もありますが、言うほどたやすくないはずです。
「服従の心理」という本にミルグラム・スタンレーの実験について書かれています。
これはある人がクイズを出して間違えたら被験者が電流を流すというもので、被験者は間違えるごとに電流を流すスイッチを押すことを指示されます。間違え続ければ電流が上がっていくのですが、被験者がスイッチを押すことを拒否しても責任は取りますと言われ実行させられることを強要されます。
そうした結果、ほとんどの被験者は死に至ると思われる電流の強さでもスイッチを押してしまいます。(実際には流しておらず、叫び声だけ聞こえる)
要は、人は人からの権威からの指示によって殺人でも実行することができる、という話になっています。
だから、今回の件についてはしょうがないというつもりはありませんが、こういった関係性はどこでも誰とでも成立する可能性があり、そういった事件が発生してしまうということ理解しなければいけないと思っています。
ミルグラムの実験は映画にもなっているので観てみると、いろいろと違う視点で今回の件を観ることができるかもしれません。
逆の立場からの話でいうと、「スタンフォード監獄実験」というのもあります。
これは被験者を看守と囚人に分けてロールプレイングしていくと、看守は次第に高圧的になり理不尽な暴力がエスカレートしていくという話です。人は役割を与えられるとその役割に影響されて本来の人格ではできないような行動をしてしまいます。
この実験は何度も映画化されています。
この実験においても、看守役は、権威に指示されて看守をやらされており、不適切な行動があれば注意されるはずなのにされないということは暴力も許容されている、という捉え方をしてしまうことによっていろいろと巻き起こっていくことになります。
いろいろと今回の件について当てはめて考えたくなりますが、今回はこのへんで。
服従実験とは何だったのか―スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産
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ということで、記者会見で思ったことでした。